人は年を重ねるにつれ、学びたいことや興味を抱くものが変わっていきます。それは、自分自身が絶えず変化しているからではないかと思います。外見も含めて、私たちは確かに変わり続けています。
しかし、過去に戻ることはできず、前へ進み続けるしかありません。このことから、人は時の流れの中で生きていると言えるのです。ふと疑問に思うことがあります。さっきの自分と、今の自分は同じ存在なのだろうか? 絶えず変化している自分を、どうして「同じ自分」と感じるのか。その答えは「意識」しかないように思えます。
最近、福岡伸一先生の「生物は動的平衡の中にある」という考え方に共鳴しています。私たちは、時間の流れの中で自分を保つために、バランスを維持しようとしています。このバランスが崩れると、私たちの存在は流れの中で認識できなくなってしまいます。自分を保つために、一生懸命そのバランスを取ろうとする。それこそが「生きる」ということではないでしょうか。
この考えは、仏陀が説いた「諸行無常」という真理と一致しているように思えます。2600年前、現代の科学や教育がなかった時代に、なぜ仏陀はこの真理に気づいたのでしょうか? これは本当に驚くべきことです。
「悟り」とは、この真理を理解することだと思います。つまり、現代の教育がなくても、私たちは真理に気づくことができるのです。しかし、逆に言えば、現代の教育を受けても、多くの人は真理に気づくことができません。
多くの人が真理を悟れる社会こそ、真に豊かで幸福な社会だと思います。そのためには、現代の教育が本当に正しいのか、私たちはもう一度見直す必要があるのではないでしょうか?
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