人生60年以上生きてくると、モチベーションの維持が非常に難しく感じます。もうこの歳ですから、上昇志向はなくなってしまいました。もともと上昇志向とは、あるコミュニティの中で自分をどんどん認められたいという欲望ではないかと思いますが、すでに所属しているコミュニティでは上昇する必要もありません。
なんで生きているのか? 死にたくないから? しかし、最近では別に死んでもそれほどの恐怖はなくなってきました。それは、お釈迦様の教えを洞察していくうちに、死への準備がどんどんできているからではないかという気がします。
生きるも死ぬも同じです。ですから、生きるためとか死ぬためではなく、自分自身がやらねばならないことをやっていくことが重要ですが、このやらねばならないことが今一つ明確になりません。ここに、自分自身のモチベーションを高めるための洞察が必要なようです。
人はさまざまです。私もある制約がありますが、これは別に問題ではないと思います。では、すべての制約を無視して、今自分がやりたいことは何か? いっぱいあるようで、どれも昔のように燃えるようなモチベーションが出てきません。そこで、いっぱいあることを、小さなモチベーションで淡々とやることにしたいと思います。一生懸命やりません。淡々とやります。八正道をベースに、よく洞察しながら淡々とやり続けるのです。
これこそが、禅宗を極めた道元の『日常の一切の行為が修行である』との考えと同じではないでしょうか。淡々とやっていくうちに、モチベーションという感情すらなくなり、やりたいことを淡々とやり続ける状態になります。人が生きているというのはこういうことなのかもしれません。人生を淡々と生きていくのに、意味もモチベーションもいらないのです。ただ、自分がやりたいだけのことを淡々とやるだけです。ただし、それは八正道の実践に基づいてです。つまり、人を不幸にしたり、邪なことはだめです。
淡々と生きることで得られる静かな充実感こそが、私たちの心を満たし、真の平安をもたらすのかもしれません。八正道を実践しながら、自分の道を淡々と歩むことが、人生の本当の意味なのではないでしょうか。心の平穏と共に、穏やかな日々を過ごしていきたいと思います。
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