民主主義社会では、社会的な問題に対処するために、憲法や憲法の理念に基づいて法律などのルールを決定する過程で様々な議論が行われます。アメリカでは独立宣言がその理念の基盤であり、「人間は平等であり、生命、自由、幸福を追求する権利がある」とされています。しかし、日本の場合、憲法がそのベースとなっているとは言い切れず、それは、憲法がアメリカからの強制によるものであると与太郎は考えています。
欧米ではキリスト教の価値観が中心で、人間は神の子供であり、神様の許容範囲内で個人としての在り方を考えます。対照的に、日本は仏教と神道が根底にあり、人々や神々、自然界が一体となって調和することが重要視されます。この文脈から、厩戸皇子が提唱したと言われる17条憲法の「和をもって尊しとなす」という理念が日本人に適しているのではないかと考えています。
ただし、17条憲法が成立した時代の価値観が、現代と必ずしも一致していません。同様に、アメリカの独立宣言を作成した際には奴隷制度が存在しており、その理念が全ての人々に適用されていたわけではありませんでした。ここで強調されるのは、欧米では歴史の中で王政や身分社会に対抗して進化した社会理念が存在する一方で、日本では、自然と共存した社会が大陸から伝わった仏教などと神道が結びついた社会理念があります。
日本では、そういった理念の基づき異なる主張を持つ集団が、お互いに妥協と調和を図りながら物事を決定することが重要であると考えています。欧米のアプローチと比較して、日本のやり方は生ぬるい、遅い、不完全とされるかもしれませんが、多くの人が納得する形での決定が不満を少なくし、社会が安定すると思います。欧米流の意思決定では、早いのですが、受け入れられない人もおり、社会の不安定リスクとなります。
しかし、日本流と欧米流のどちらが優れているかではなく、各国の歴史から生まれた独自の方法で民主主義を進めることが、その国の歴史の流れを考えると現実的だと思います。さらに、双方が自分たちとは違うやり方を学んで、より良い方向に進化させていくことが重要なのです。 世の中は諸行無常でどんどん変化しています。その時点では、良いものも次の時点では、違ってきます。常に進化させることこそが、重要なことです。
究極、国民が幸せになるのは民主主義がベストかどうかはわかりませんが、大事なことは、民主主義を進化させることです。そのためには、いろいろな国の民主主義をお互いに学びながら、進化させることです。
そのためにも、日本は、歴史に根差した理念を持った民主主義をベースに、謙虚に他国の民主主義を学んで進化させていくことが重要だと思います。
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